山形県に関するブログ!!

山形県

 県域を地図で見ると人間の顔の形をしている。県の東側一帯で宮城県との境に奥羽山脈、県の西部に朝日連峰がそびているように、県域の大半を山地が占め、中央を最上川が流れる。県民の多くがこの川の流域に住んでいるため、母なる川とも呼ばれている。北西側の日本海上には県唯一の離島、飛島がある。

位置
最東端:最上郡最上町堺田
最西端:酒田市飛島
最南端:米沢市関
最北端:酒田市飛島
山岳・山地
奥羽山脈:吾妻連峰、蔵王連峰
越後山脈:朝日連峰、飯豊連峰
出羽山地:鳥海山、月山
特に羽黒山、月山、湯殿山を出羽三山と呼ぶ。
盆地
米沢盆地
山形盆地
新庄盆地
平野
庄内平野

これらの盆地、平野に都市が集中し、人口が多い。また、県内すべての市町村に温泉がある。
日本、東北地方
隣接都道府県: 秋田県 - 宮城県 - 福島県 - 新潟県

 

山形県の歴史

 戦国時代は最上地方の最上氏、置賜地方の伊達氏(天文の乱の後、本拠を伊達郡から米澤に移した)、庄内の大宝寺氏が割拠した。最上氏は最上義光、伊達氏は伊達政宗の名将が登場し、一大版図を築いた。関が原の戦いにおいては、会津・上杉軍と山形・最上氏との間で激戦が繰り広げられた。(長谷堂の戦い)

江戸時代には鶴岡、米沢、新庄、山形、上山、(出羽)松山(→松嶺)、天童、長瀞の各藩があった。明治時代の地方区分では、羽前国全域と、羽後国の飽海郡が、現在の山形県に相当する。

古代
遺跡
稲荷森古墳
出羽柵
中世
斯波氏-奥州管領・羽州探題-最上氏-伊達氏-武藤氏
近世
豊臣秀吉の奥州仕置-長谷堂合戦-米沢藩-上杉鷹山-羽州街道-清河八郎
幕末(1867年)に現県域内にあった藩
米沢藩-米沢新田藩-上山藩-山形藩-長瀞藩-天童藩-新庄藩-庄内藩(鶴岡藩)-(出羽)松山藩
近代
1868年:戊辰戦争
12月:戦後処理として米沢・上山・天童・鶴岡(庄内)・松山の各藩が減封される。
1869年6月:版籍奉還後、米沢新田藩が廃され米沢藩へ編入。他の藩は存続するが、鶴岡藩は大泉藩、松山藩は松嶺藩と改称される(鶴岡藩の改称は9月)。
1869年7月:酒田県を設置。旧幕府直轄地(天領)および各藩からの没収地などからなる政府直轄地を管轄。
1869年11月:長瀞藩が上総国(現千葉県)に移転(→大網藩)。
1870年7月:山形藩が近江国(現滋賀県)に移転(→朝日山藩)。
1870年9月:酒田県が山形に移転し、山形県が設置される。
1871年7月:廃藩置県により米沢県、上山県、天童県、新庄県、大泉県、松嶺県が設置され、既存の山形県とともに7県となる。
1871年8月:天童県が廃され、山形県に編入される。
1871年11月:山形県(村山郡・最上郡)、置賜県(置賜郡)、酒田県(田川郡・飽海郡)の3県に統合される。
1875年8月:酒田県の県庁が鶴岡に移転し鶴岡県と改称される。
1876年8月:山形、置賜、鶴岡の3県を統合し現在の山形県となる、初代県令に三島通庸が就任。
1878年:郡区町村編制法により村山・置賜・田川の各郡を分割。県内に次の11郡が設置される。
南村山郡、東村山郡、西村山郡、北村山郡、最上郡、南置賜郡、東置賜郡、西置賜郡、東田川郡、西田川郡、飽海郡
1889年4月:山形、米沢の2市が市制施行、8町213村が誕生。
1891年:県下に郡制をしく。
1933年7月25日:山形測候所で日本最高気温の40.8℃を記録。
1968年:13市27町4村の体制となる。